久しぶりにブログを更新する。
食事をしながらお昼のワイドショーを見た。
すると、NLPのテクニックが紹介されていた。
そのテクニックが仕草を真似するミラーリングとオーム返しだった。
なるほど、お昼のワイドショーもNLPに注目する時代になったのだね。
しかし、その2つでコミュニケーションが良くなると言い切るのはどうだろう。
もちろん、それでコミュニケーションが良くなる場合もある。
だが、そうすることがコミュニケーションを悪化させることもある。
相手はテクニックの対象ではなく、コミュニケーションの相手だからだ。
本来、ペーシングの技術はコミュニケーションが良好な関係で自然に発生する。
それを逆に真似て見たらどうなるか試みたら有効な場合が多かった。
もちろん有効ではない場合もあるのは当然のことだろう。
それがペーシングの源だったことは覚えておきたい。
また、自分自身にあまり興味がないのに、
テクニックだけでコミュニケーションを進めようとする相手はどうだろう。
自分が、単にテクニックの対象になっていることはモルモットみたいで嫌なもの。
自らが欲せざるところを人に施すなかれではないだろうか。
逆に相手に強い興味を持ち、
「あなたの話をもっと聴かせて」と思う時、
それがコミュニケーションを行う本来のあり方であろうし、
そのあり方からは、オーム返や仕草の同調が自然に起こるものだ。
一方、相手に興味を持たず、
それらのテクニックを使う時どんな事が起きるか。
「あなたのことはもう分かったから」と非言語でメッセージが伝わる。
お察しの通りその語義は、相手との関係性が終わることを意味する。
非言語のメッセージは本人が隠したつもりでも隠すことができない。
だから、単にテクニックの対象になった人はあることに気付く。
そう、「何だか、嫌な感じ」になるのだ。
NLP始め様々なコミュニケーションのテクニックは取り扱いの注意が必要だ。
コミュニケーションをしようとする相手自身に興味を持っているか。
「あなたのことがもっと聴きたい」と心から願っているか。
その願いがあるならテクニックは後から自然についてくる。
ついてこなくてもコミュニケーションは自然に深く豊かになってくる。
親密な恋人たちの間にあるのは技法ではない。
そうではなく、あるのは何事にも優る相手のことをもっと知りたい思いだろう。
その思いを愛と言うのだろう。
と、つい青臭いことを書いてしまった。
そう、私はお昼のワイドショーの薄っぺらさが嫌だったのだよ。
